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青空文庫(あおぞらぶんこ)で本を読みませんか。
青空文庫は、だれでも自由にアクセスし、無料で利用できるネット上の図書館です。
青空文庫で読めるのは、著作権が消滅した作品と作者が公開を許可した作品。
夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治など、誰もが知る日本の作家の作品はもちろん、カフカやスティーブンソン、チェーホフなどの外国人作家の作品、国内外の童話、推理小説、哲学、歴史から政治、社会科学、自然科学…と、とにかく様々な作者・分野の作品を読むことができます。
青空文庫を読むためのスマホのアプリもありますよ。
青空文庫はボランティアによって運営されており、作品の入力・校正もボランティアによって行われています。
公開されている作品は、なんと18,000点以上。※2021年10月時点
そんな多くの作品の中から、おすすめの作品を少しずつご紹介していきます。
今回は青空文庫で読める食や料理にまつわるエッセイ・随筆をいくつかご紹介します。
納豆の茶漬けは意想外に美味いものである。しかも、ほとんど人の知らないところである。食通間といえども、これを知る人は意外に少ない。と言って、私の発明したものではないが、世上これを知らないのはふしぎである。
(『納豆の茶漬け』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『納豆の茶漬け』北大路魯山人
画家、陶芸家、書道家など、さまざまな顔を持っていた北大路魯山人(1883-1959)。なかでも料理家・美食家としてその名をご存知の方も多いのではないでしょうか。
青空文庫では色々な食にまつわる北大路魯山人の作品を読むことができますが、個人的に意外だと感じたのが、お茶漬けについて書かれた作品の多さ。納豆のほかにも、塩昆布、塩鮭、塩鱒、天ぷら、海苔など、色々な具のお茶漬けについて書いています。
ご紹介する納豆の茶漬けは、一度はやってみようかなと思うシンプルなレシピ。他の具のお茶漬けについても、さらりと読むことができる短い文章なのでぜひ。
以下からすぐに読むことができます
青空文庫『塩昆布の茶漬け』北大路魯山人
青空文庫『塩鮭・塩鱒の茶漬け』北大路魯山人
青空文庫『てんぷらの茶漬け』北大路魯山人
青空文庫『海苔の茶漬け』北大路魯山人
青空文庫『鱧・穴子・鰻の茶漬け』北大路魯山人
青空文庫『鮪の茶漬け』北大路魯山人
その後大人になって、いろいろおいしいものも食べてみたが、幼い頃のこのおこげのお握りのような、温かく健やかな味のものには、二度と出会ったことがないような気がする。
(『おにぎりの味』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『おにぎりの味』中谷宇吉郎
雪の結晶を分類し、世界で初めて人工雪の結晶の製作に成功した物理学者・中谷宇吉郎(1990-1962)。随筆家としても知られた彼の、雑誌『暮しの手帖』に掲載された短い随筆です。 ※初出時の表題は『五十年前』
幼い頃、朝起きると弟と一緒にかまどの部屋に行く。そして、ご飯を炊いた後の釜底に残るおこげでおにぎりをつくってもらう。
読んでいると香ばしい匂いが伝わってくるよう。つい、お腹が空きます。青空文庫には他にも、かぶらずし、果物の天国といったタイトルの、中谷宇吉郎の食べ物に関する随筆があります。いずれも短い文章です。
私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
(『サラダの謎』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『サラダの謎』中谷宇吉郎
ロンドンに留学中の下宿で出されたサラダが忘れられず、日本に帰ってからなんとか再現しようとする中谷宇吉郎。しかし、何かが足りない。あのサラダの謎とは。サラダをめぐる妻や娘とのやり取りもほほえましい短文です。
目下、僕は毎日、R撮影所へ通って、仕事をしている。そして、毎昼、うどんを食っている。此の撮影所は、かなり辺鄙な土地にあるので、食いもの屋も、碌に無い。だから、一番安心して食えるのは、うどんだと思って、昼食には、必ず、うどん。そのせいか、大変、腹具合はいい。そばも食いそうなものだが、僕は、そばってものは嫌い。嫌いと言うよりも、そばを食うとたちまち下痢する。子供の頃は、そんなことは、なかったんだが二十代から、そうなった。だから、江戸っ子の癖に、そばが食えない。従って、僕の食談には、そばに関することは、殆んど出て来ないのである。
(『うどんのお化け』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『うどんのお化け』古川緑波
1930年代を代表するコメディアン、俳優の古川緑波(古川ロッパ 1903-1961)。エッセイストとしても活動していた彼は、食にまつわる作品も多く書いています。エノケンや水の江瀧子のエピソードも楽しい、気楽に読めるエッセイです。
もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。僕は、酒飲みだから、甘いものの方は、まるでイケないんじゃないか、と思われたらしい。ジョ、冗談言っちゃいけません。子供の時は、酒を飲まないから、菓子は大いに食ったし、酒を飲み出してからだって甘いものも大好き。つまり両刀使いって奴だ、だからこそ、糖尿病という、高級な病いを何十年と続けている始末。
じゃあ、今日は一つ、甘いものの話をしよう。今両刀使いの話の出たついでに、そこから始める。
(『甘話休題』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『甘話休題』古川緑波
森永のキャラメル、風月堂のケーキ、青木堂のクッキー、銀座コロムバンのクッキー、その他にもバウムクーヘン、アイスクリーム等々。古川緑波が大好きだった甘いものの名前が次々と出てきます。さらにはカフェ、喫茶店の話まで。特に戦前の、スイーツにまつわるおいしく楽しい思い出が語られた作品です。
二ヶ月前に血を吐いてからは、一ヶ月間酒をやめた。同時に、かたい御飯をやめた。もっぱらオジヤ。まれに、パン、ソバ、ウドンである。そして、酒は再びのみはじめたが、御飯は本当にやめてしまった。それで一向に痩せないのである。朝晩二度のオジヤもごく小量で、御飯の一膳に足りない程度であるし、パンなら四半斤、ソバはザル一ツ、あるいはナベヤキ一ツ。それで一向に痩せない。間食は完全にやらない。ミルクもコーヒーものまない。
そこで私は考えた。毎晩のむ酒のせいもあるかも知れぬが(寝酒は三合、それに時として黒ビール一本追加)オジヤの栄養価が豊富なのだろう、と。そこで、病人の御参考になるかも知れないから、小生工夫のオジヤを御披露に及ぶことにします。(『わが工夫せるオジヤ』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『わが工夫せるオジヤ』坂口安吾
日本近代文学を代表する作家、坂口安吾(1906-1955)。鬱的精神状態、睡眠障害から酒を飲み、薬物を多用することで体を壊した彼は、胃の負担を軽減すべく自ら工夫して「おじや」を作ります。その作り方とは。タイトルのおじやについてはもちろんのこと、彼の食習慣についての記述も興味深い内容になっています。健康面での辛い状況が綴られているはずなのに、力強さとユーモアを感じる作品。
とにかくこの生まれて始めて味わったコーヒーの香味はすっかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまった。すべてのエキゾティックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡って来た一脈の薫風のように感ぜられたもののようである。
(『コーヒー哲学序説』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『コーヒー哲学序説』寺田寅彦
物理学者であり、夏目漱石の門下生として文学者としても活躍した寺田寅彦(1878-1935)。多くの随筆を残しており、青空文庫でも多くの作品を読むことができます。
初めてのコーヒーの話にはじまり、留学先の下宿で飲んだコーヒーの味、銀座で飲んだコーヒー、自宅で飲むコーヒー、コーヒーにまつわる様々を語っています。そしてコーヒーから、芸術や哲学、宗教についてまでも話が広がっていく、筆者らしさを感じるエッセイ。
震災以來の東京は梅園や松村以外には「しるこ」屋らしい「しるこ」屋は跡を絶つてしまつた。その代りにどこもカツフエだらけである。僕等はもう廣小路の「常盤」にあの椀になみなみと盛つた「おきな」を味ふことは出來ない。これは僕等下戸仲間の爲には少からぬ損失である。
(『しるこ』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『しるこ』芥川龍之介
小説家・芥川龍之介(1892-1927)の短い随筆。
先頃掛りつけの医者からわたしは砂糖分を含む飲食物を節減するようにとの注意を受けた。
誰が言い初めたか青春の歓楽を甘き酒に酔うといい、悲痛艱苦の経験をたとえて世の辛酸を嘗めると言う。甘き味の口に快きはいうまでもない事である。
わが身既に久しく世の辛酸を嘗めるに飽きている折から、今やわが口俄にまた甘きものを断たねばならぬ。身は心と共に辛き思いに押しひしがれて遂には塩鮭の如くにならねば幸である。
(『砂糖』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『砂糖』永井荷風
医者から甘いものを止められた小説家・永井荷風(1879-1959)。大好きだった砂糖の入ったコーヒーや甘いショコラの思い出を語り、それらを断たなければならないことを嘆きます。しかし、ある油絵の話を切り口に、浮世絵、詩文へと話が流れ、最後は医者に止められたことも幸いであったかもしれないという心境に。それでもやはり、最後の一文は寂しさを感じさせます。
日頃酒を好む者、いかにその精神、吝嗇卑小になりつつあるか、一升の配給酒の瓶に十五等分の目盛を附し、毎日、きっちり一目盛ずつ飲み、たまに度を過して二目盛飲んだ時には、すなわち一目盛分の水を埋合せ、瓶を横ざまに抱えて震動を与え、酒と水、両者の化合醗酵を企てるなど、まことに失笑を禁じ得ない。
(『禁酒の心』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『禁酒の心』太宰治
戦時中で酒がなかなか手に入らなかった時代。そんな中でも酒を飲み、酒に振り回される者たちの小賢しさや卑屈さ、滑稽さ。小説家・太宰治(1909-1948)がその姿を容赦なく、しかしどこかユーモラスに書いた短編。酒好きだと言われた太宰治だからこその、最後の一文をぜひ。
青空文庫では、ほかにも『酒嫌い』『酒の追憶』といった、太宰治の書いた酒にまつわる作品を読むことができます。
ぼくは半熟卵が好物だ。毎朝古女房に半熟卵をこしらえてもらって、白い瀬戸のふちで生あたたかい白い楕円形をコチンとたたくときの気持はなんともいえない。それを二本の指でカッと開くとどろりとした白身が湯気をたてて黄身といっしょに落ちてくる。スプーンで殻の内壁についた白身を削りとり、それに塩か醤油をかけ、あるいは女房の眼を盗んで化学調味料をちょっぴりかけ、それをスプーンでしゃくって食べる。貧乏なぼくにはそれが涙がポロポロでてくるほど旨いのだ。下手な宴会料理なぞよりはるかに旨い。
(『オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――』より)
こちらからすぐ読むことができます 青空文庫『オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――』森於菟
森鴎外の息子としても知られる、医学者の森於菟(1890-1967)。研究室で、卵殻外発生の実験「ひらたく言えば、卵を殻の中でなく、素焼の壺の中でにわとりにする実験」のために大量の卵を扱っています。卵好きの彼は、実験の最中であっても、この卵はこうしたら美味しいだろうに…などと考えてしまう。そしてその想像は、新しい半熟卵、複雑な味をした半熟卵の料理法へと膨らんでいきます。読んでいると、彼が熱望したような半熟卵が現代はもうあるのかが気になりつつも、いつもの半熟卵を食べたくなってしまった作品。
申すまでもなく、食物をうまく食うには、腹をすかして食うのが一番である。満腹時には何を食べてもうまくない。
今私の記憶のなかで、あんなにうまい弁当を食ったことがない、という弁当の話を書こうと思う。弁当と言っても、重箱入りの上等弁当でなく、ごくお粗末な田舎駅の汽車弁当である。
(『腹のへった話』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『腹のへった話』梅崎春生
小説家・梅崎春生(1915-1965)の中学二年の夏休みの思い出。その年頃だからこその心情が懐かしく感じる短文。最後の一文に共感。
亡くなられた菊池寛先生に、初めてお目にかかったのは、僕が大学一年生の時だから、もう二十何年前のことである。
「スープと、カツレツと、ライスカレー。僕は、それだけ。君は?」
「ハ、僕も、そうさして戴きます」
で、スープからカツレツ、ライスカレーと、順に運ばれるのを、夢心地で片っぱしから平げた。
先生のスピードには驚いた。スープなんぞは、匙を運ぶことの急しいこと、見る見るうちに空になる。ライスカレーも、ペロペロッと――
(『食べたり君よ』菊池先生の憶い出 より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『食べたり君よ』古川緑波
『菊池先生の憶い出』『久保田先生とカツレツ』『谷崎先生と葡萄酒』の3つの短い話からなるエッセイ。
それぞれ、菊池寛、久保田万太郎、谷崎潤一郎との食事の思い出が綴られています。古川緑波(1903-1961)の、緊張しながらも美味しい、懐かしい思い出。それぞれの人物の雰囲気も伝わってくる楽しい作品です。
先生と銀座については、妙にはっきりした印象が、一つ残っている。それは先生と、千疋屋でメロンを食べた場面である。考えてみると、もう三十年以上の昔の話であるが、メロンという西洋の非常に高貴な果物が、その頃初めて、千疋屋で売り出された。何処の帰りだったか忘れたが、或る夕方、二、三人の教室の連中と、先生につれられて千疋屋へはいった。
(『寺田先生と銀座』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『寺田先生と銀座』中谷宇吉郎
世界初となる人工雪の製作に成功した物理学者・中谷宇吉郎(1900-1962)。彼にとって寺田寅彦は、東京帝国大学理学部物理学科時代、またその後の理化学研究所においても、学び教えを受ける恩師でした。そんな師である寺田寅彦と銀座の千疋屋でメロンを食べた時の思い出が綴られています。初めて食べる果物への視線が初々しく、寺田先生の雰囲気も伝わってきます。
正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。
其から大将は昼になると蒲焼を取り寄せて、御承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食う。それも相談も無く自分で勝手に命じて勝手に食う。まだ他の御馳走も取寄せて食ったようであったが、僕は蒲焼の事を一番よく覚えて居る。それから東京へ帰る時分に、君払って呉れ玉えといって澄まして帰って行った。
(『正岡子規』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『正岡子規』夏目漱石
夏目漱石(1867-1916)が語る正岡子規。同じ年の二人は東京大学予備門(明治初期の東京大学の予備教育機関)時代に知り合い、以降も交友が続きました。正岡子規はのちに病のため寝たきりになってしまいますが、「これはまだ正岡の足の立っていた時分」の思い出。互いにおごったり、おごられたり、出会った頃のこと、その印象など、友人である子規について語られています。34歳の若さで亡くなってしまった子規。一見、素っ気ないような語り口ですが、そこに子規への思いを感じることができます。
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
(『ああ東京は食い倒れ』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『ああ東京は食い倒れ』古川緑波
古川緑波(1903-1961)が、戦後の東京の飲食店の移り変わりを語った作品。餃子、お好み焼き、やきとり…等々。戦前よりも増えた店、減った店、当時の東京の様子が伺えるエッセイ。
箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。
戦前戦中、僕は、富士屋ホテルで、幾度か夏を過し、冬を送ったものだった。それが、終戦後、接収されて、日本人は入れなくなってしまった。そして又、それが一昨年の夏だったか、解除になって、再び日本人も歓迎ということになり、ホテルから通知が来た。行きたいとは思いながら、暇もなかったし、又一つには(と言って、実は、これが重要な点であるが)高いだろうなあと思って、今まで行く機会が無かった。
(『富士屋ホテル』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『富士屋ホテル』古川緑波
戦後、富士屋ホテルからの通知を受け取った古川緑波。さて、富士屋ホテルは以前と変わってしまったのか、変わらないままなのか。
戦前に富士屋ホテルで食事をした時の日記を振り返りながら、その頃の思い出を語る古川緑波。「食堂のメニューの上から下まで全部食ってみよう」と試みた話は、ボーイとの会話も楽しいエピソードです。
そしていよいよ、戦後初めて富士屋ホテルを訪れます。何が変わって、何が変わらなかったのか。自身で「僕は大食いのようだ」というだけあって、読んでいるとその食べっぷりには感心してしまいます。
しかし、それらのものよりも、もっと一般的な生活に即した料理としては、なんと云ってもチャンプルーである。
普通、油いためしたものをチャンプルーと云うのである。その種類には、ゴーヤー(れいし)チャンプルーがあり、ビラ(ねぎ)小チャンプルー、マーミナ(もやし)チャンプルー、チリビラー(にら)チャンプルーなどがある。それらは野菜である。外にトーフ(豆腐)チャンプルーがある。しかし、どのチャンプルーの場合でも、大ていトーフはいっしょである。
(『チャンプルー』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『チャンプルー』山之口貘
詩人・山之口貘(1903-1963)。ミュージシャンの高田渡の楽曲で、彼の詩を知っている方もいらっしゃるかもしれません。彼のふるさとである沖縄の料理について、表題のチャンプルーにまつわる思い出の他にも、ミミガー、アシティビチ、ゴーヤー、ヘチマなど、今では沖縄料理でおなじみの食材についてや、まだ聞き慣れない料理についても触れています。文中にでてくる沖縄民謡「谷茶前(タンチャメ)」を聴きながら読んでみてはいかがでしょうか。
倫敦で二ヶ月ばかり下宿住いをしたことがあるけれど、二ヶ月のあいだじゅう朝御飯が同じ献立だったのにはびっくりしてしまった。オートミール、ハムエッグス、ベーコン、紅茶、さすがに閉口してしまって、いまだにハムエッグスとベーコンを見ると胸がつかえそうになる時がある。
(『朝御飯』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『朝御飯』林芙美子
筆者は小説家の林芙美子(1903-1951)。舞台や映画になり、テレビ化もされた小説『放浪記』はよく知られている作品です。ロンドンで、パリで、国内での旅の旅館で、と彼女が美味しいと思った朝御飯、まずいと思った朝御飯について書かれています。また、自身の気に入っているレシピも。ポンポンと好き嫌いが綴られ、彼女の食に対する旺盛な興味も感じられる作品。
私は、晴れた日の青い海を見ると、なんとなく食慾をそそられるような思いがする。これは今に始まったことではないが、どうしてそうなんだろうと考えてみると、それはサカナ屋の店先などを通るときに、鯖や鮪や鰯などが、水をぶっかけられて青い背中をいきいきと光らせているのを見て、あれはいかにもうまそうだと自分の眼を光らせるその瞬間、その青い色が、どうやら深海の色で染まってきたのではないかというような錯覚をもつことがあって、どうもその連想が、海の青い色をみるときに出てくるのではないか。こんなふうに、私は自分で理窟づけたことがある。
(『乳と蜜の流れる地』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『乳と蜜の流れる地』笠信太郎
筆者である笠信太郎(1900-1967)は、朝日新聞社常務取締役論説主管、顧問を努めたジャーナリスト。食欲と色の関係。自分の食欲は青い水の色とつながっている、と思う笠信太郎。ではヨーロッパの人たちはどんな色に食欲を感じているのだろうか?そんな疑問を持ちながら、スイスのグリンデルワルトの宿からアルプスの景色を眺め、想像します。
台所のバケツにほうれん草を二日もつけておく人がある。ほうれん草は、台所用いけばなにあらず。
*
さかなを焼く時は……、
さかなというやつは、おもしろいものだ。じっと目を放さずに見つめていると、なかなか焼けない。それなのに、ちょっとよそ見をすると、急いで焦げたがる。*
家庭の料理、実質料理、一元料理、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒がそれにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころ料理になるのである。味噌汁であろうと、漬けものであろうと、なにもかもが美味い。それを今日の簡単主義と、ものぐさ主義が、商業料理へ追いやってしまって、家庭の料理は破滅に陥ったのである。
(『味覚馬鹿』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『味覚馬鹿』北大路魯山人
北大路魯山人(1883-1959)の、食・料理に関するアフォリズムといった感じの作品。厳しい一言あり、くすりとしてしまう一言もあり。読みやすく、心に残る言葉がある作品です。
おいしく料理をつくりたいと思う心と、おいしい料理をつくるということは、似ているが同じではない。
わたしたちは、したいと思っても、しようと思うのはなかなかだ。しようと思っても仕上げるまでには時を必要とする。だが、したいと思っている心を、しようと決心するには一秒とかからない。まず希望を持っていただきたい。やってみたいという希望を持ったら、やりとげようと決心していただきたい。決心したならば、すみやかに始めていただきたい。むずかしいことはなにもない。やってみない先から、とてもできないと思いあきらめているひとがあまりにも多すぎはしないだろうか。
(『料理の第一歩』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『料理の第一歩』北大路魯山人
ある一人の男の寓話から始まる作品。料理をしたい人、おいしい料理を作りたい人に、易しい言葉で語り励ます応援歌のような作品。
サンマ、鰯といえば、温かい飯とこなくてはならないが、贅沢な料理の膳に向ったときよりも、かえって家庭で、このような質素でうまい食事をするときに、今日もこうして無事に飯を食うと思い、飯が食えるということが、人類にとってどんなに重いことであるかというようなことを、考えさせられる。
(『庶民の食物』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『庶民の食物』小泉信三
筆者の小泉信三(1888-1966)は慶應義塾長を務めた経済学者。東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者も務めた人物です。
母親が好きだった鰯にまつわる話、米屋で僅かな米を買う女性の思い出、料理屋で腹を立てた時のこと。表題の通り、贅沢ではないけれど質素でおいしい料理への思い出が綴られた作品です。
この雑誌にこんなことを書くと、皮肉みたいに思われるかもしれないが、西洋の諺、「飢えは最善のソース」には、相当の真理が含まれている。
一流の料理人が腕をふるってつくり上げたソースをかけて食えば、料理はうまいにきまっているが、それよりも腹のへった時に食うほうがうまい、という意味である。
(『飢えは最善のソースか』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『飢えは最善のソースか』石川欣一
本当に「飢えは最善のソース」なのか。筆者の石川欣一(1895-1959)は、腹が減っているから「うまかった」と感じたであろう記憶を思い起こします。そんな記憶のなかでも、戦時中の出来事と共に思い出される食物についてのエピソードは印象的。最後の一文には、「飢えは最善のソースか」に対する彼の結論が。
食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。
(『食通』より)
非常に短い作品です。太宰治(1909-1948)の「食通の奥義」とは。
どうも貧乏育ちのせいか、総じてわたしなどは、茶懐石でも料亭の物でも、うまいといつ迄もおぼえていて、あとあと、又の邂逅を舌が待ちかねるというほどな物にはめったにお目にかかっていず、かえって貧窮時代に母がくるしさの余りに作ったおかしな安惣菜などが、ふと、この年になっても郷愁されてくるのはどういうわけのものだろうか。
(『舌のすさび』より)
こちらからすぐに読むことができます 青空文庫『舌のすさび』吉川英治
小説家・吉川英治(1892-1962)のエッセイ。銀座の料亭の料理はどうもぴったりこない。一山いくらの鮭のあら、天ぷら屋の揚げ玉、カツオの中落ち、しょっぱく煮た蕗など、質素ながらも工夫を凝らした料理が好きな様子。昭和天皇と丸干しの話や、大倉喜七郎の好きなおかずの話も珍しく楽しい読み物です。
本作で登場する、吉川英治が文字を書いた船橋屋の看板は、今でも本店の喫茶ルームにあるようです。
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