鎌倉殿の13人 坂口健太郎さん演じる北条泰時とは?【大河ドラマ】

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NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公・小栗旬さん演じる北条義時の息子である北条泰時。
ついに北条泰時役が発表されました(※2022年2月)。北条泰時を演じることになったのは、坂口健太郎さん。
2021年に放送されたNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』での菅波先生(菅波光太朗)の役も印象的でした。坂口さんにとっては、初の時代劇、そして初の大河ドラマ出演とのことです。
坂口さんが演じる北条泰時とはどのような人物なのか、ストーリーの中で関わりがありそうなエピソードや出来事について、いくつかご紹介します。

鎌倉殿の13人の最終回までのネタバレ・あらすじ予習にはこちらもどうぞ。

北条泰時とは

北条泰時は、北条義時【小栗旬】の息子で、後の鎌倉幕府第3代執権。ドラマでは、第15回「足固めの儀式」にて、母親は八重【新垣結衣】とされました。
北条泰時【坂口健太郎】にとって、北条時政【坂東彌十郎】は祖父、北条政子【小池栄子】は伯母にあたります。
1183年生まれ。幼名は金剛(子供時代【森 優理斗】)。
北条泰時が生まれた頃、北条義時【小栗旬】は21歳。源頼朝【大泉洋】は鎌倉入りを果たしています。また、平清盛【松平健】はすでに亡くなっています。
北条泰時の烏帽子親は源頼朝【大泉洋】。
※烏帽子親とは、仮の親のようなもので、成人になって元服を行う時に烏帽子をかぶせる人のこと。

北条泰時がまだ子どもの頃の話として、源頼朝との関係が伺えるエピソードが伝えられています(吾妻鏡)。
北条泰時が源頼朝の元に向かう道中、多賀重行という御家人とすれ違います。その際、多賀重行は馬から下りず乗ったままで北条泰時とすれ違いました。この状況を源頼朝は咎めます。
北条氏はすでに高い地位にあり、多賀重行は馬を下りるのが礼儀だ、という理由でした。
しかし北条泰時は「自分は非礼な態度は取られていない」と語り、多賀重行を庇います。一方で多賀重行も「自分も非礼な態度はとっていない」と語ったため、源頼朝は多賀重行の所領を没収し、北条泰時には褒美を与えたという話があります。
10歳頃の話であり、ドラマでの場面はないかもしれませんが、源頼朝【大泉洋】の北条泰時【坂口健太郎】への信頼と、北条泰時【坂口健太郎】の性格が伺えるような話です。

ドラマ内では、第22話『義時の生きる道』でこのエピソードを思わせる場面がありました。
安達盛長【野添義弘】の息子・弥九郎と喧嘩をした金剛【森 優理斗】(のちの北条泰時)。義時は金剛をさとし、安達家に行き謝罪をします。金剛が弥九郎を殴ったのは、孤児である鶴丸をバカにされたのが原因だったのですが、金剛は言い訳をしませんでした。鶴丸は八重【新垣結衣】が命を救った孤児であり、そのことで八重は命を落としています。それでも鶴丸をかばい、理由すら言わなかった金剛を、義時はやさしく受け止めるのでした。

北条泰時に関連する出来事

この略図は、本記事でこれからご紹介する出来事に関連する人物についてのものです。
あくまで本記事で取り上げる出来事・人物に関連する略図ですので、実際にはこの図には記載されていない人物が数多くいます。ご了承ください。

比企能員の変:一幡か実朝か?3代目鎌倉殿擁立をめぐる争い

比企能員の変が起こったのは1203年。
源頼朝【大泉洋】はすでに亡くなり、頼朝と北条政子【小池栄子】の息子である源頼家【金子大地】が第2代鎌倉殿となっています。
北条氏を中心とした13人の合議制によって源頼家を支える体制が始まっている時代です。

比企能員【佐藤二朗】は源頼朝の乳母を務めた比企尼【草笛光子】の猶子(実親子ではないが親子関係を結んだ)で、頼家【金子大地】の乳母父でもあります。13人の一人であり、娘の若狭局は頼家の側室で、一幡を産んでいました。

第2代鎌倉殿である頼家は体調が優れない状態でした。では、次の鎌倉殿はいったい誰になるのか。
一幡を擁立しようと画策する比企能員の存在に、北条時政【坂東彌十郎】と頼家の母・北条政子【小池栄子】は危機感をいだいていたようです。
そして北条時政は、源頼朝と北条政子との間の子である源実朝【柿澤勇人】を第3代鎌倉殿に擁立しようとします。
(一方、頼家と比企能員が第3代鎌倉殿にしようと画策している一幡は、北条時政にとっては曾孫、北条政子にとっては孫にあたります。)

そんな中、頼家の命により源実朝の乳母である実衣【宮澤エマ】の夫・阿野全成【新納慎也】が謀反の疑いで捕らえられます
そして比企は実衣の引き渡しも要求。しかし北条政子はこれを許さず、義時に事の次第を相談。しかしその後、頼家の下知により八田知家【市原隼人】は阿野全成を誅殺します。

不穏な空気が漂う1203年、頼家は危篤状態に陥ります。そこでいよいよ問題となるのが頼家の後継者問題。 頼家の嫡子である一幡と、頼家の弟・源実朝のいずれが後継者になるのか。
結局、一幡と実朝への平等分割相続の決定がなされると、比企能員は怒り、若狭局を通じて頼家に伝え、頼家は北条時政を討つことを承諾します。
これを聞いた北条政子はすぐに時政へと伝え、時政は政所別当である大江広元【栗原英雄】に能員追討を相談し、自邸に能員を呼び寄せ誅殺します。その後、比企氏一族は一幡の屋敷に籠城するも、火を放たれほとんどが自害、討伐され、比企氏の所領もすべて没収されることとなりました。
比企能員の変の後、北条時政は、頼家がいまだ生きているにもかかわらず、12歳の源実朝を第3代将軍に擁立。頼家は幽閉され、北条義時の刺客により殺されます。そして時政自らは初代執権となり幕府の実権を握り、息子義時と共に幕政を運営していくことになります。

この比企能員の変で、総大将をつとめた北条義時の息子である北条泰時【坂口健太郎】も、祖父・父と共に源実朝擁立側として動き戦います。
また、北条義時の弟である北条時房【瀬戸康史】は、比企能員の息子たちと繋がりを持っていたとされますが、これは北条のために情報を得るためであったという説があります。比企能員の変の後で頼家が追放されると、頼家に近い御家人は処罰を受けましたが、時房はそこに含まれていませんでした。

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和田合戦:源頼朝時代からの功臣・和田義盛を滅ぼす

和田合戦のあった1213年。源頼朝【大泉洋】の死後の幕府内の権力争いにより、梶原景時【中村獅童】、比企能員【佐藤二朗】、畠山重忠【中川大志】はすでに滅ぼされ、執権である北条氏はより力を増していました。源実朝【柿澤勇人】が第3代鎌倉殿の時代です。和田重盛【横田栄司】は、源頼朝の挙兵の頃からの家臣であり、初代侍所別当でもある武勇の人。

和田義盛の留守中に、第2代鎌倉殿であった源頼家の子・栄実を将軍にし北条氏を滅ぼそうとする陰謀が発覚。その陰謀に関わったとして和田義盛の息子たち、甥が捕らえられます。
義盛が一族の釈放を願い出て息子たちは釈放されるも、甥の胤長は釈放されず。さらに一族を引き連れ胤長の釈放を願いでるも、その場で北条義時【小栗旬】に却下されます。しかも一族の目の前で縛り上げた姿をさらされるという屈辱を与えられることに。胤長の娘は悲しみのため亡くなり、さらに胤長の屋敷は取り上げられ和田一族ではない者へと与えられるなど、度重なる挑発ともとれる動きに、ついに和田重盛一族は将軍御所を襲撃
和田家に味方する軍勢も参戦するも、北条泰時【坂口健太郎】、北条時房【瀬戸康史】らが守る鎌倉市街地での激戦に破れ、最後は討ち取られることとななります。

承久の乱:北条泰時、ついに坂東武者の総大将として京に乗り込む

1219年、第3代将軍である実朝【柿澤勇人】が甥の公暁【寛一郎】に暗殺され、源氏将軍は断絶します。将軍の後継者問題で後鳥羽上皇【尾上松也】と鎌倉幕府の対立は激化。北条義時と北条政子は皇族将軍の下向を求めるも、調整は難航。そこで、二人は皇族将軍をあきらめ、より鎌倉に近い血縁の将軍として、藤原頼経(幼名・三寅)を第4代将軍として迎えることに。藤原頼経は摂関家九条道家の息子で、前3代の源氏将軍とは血縁関係がありました。この時頼経は2歳。北条政子が後見し、尼将軍として将軍を代行することになります。
第4代将軍となった藤原頼経の関東下向により、京と鎌倉の対立は落ち着いたかのように見えましたが、後鳥羽上皇【尾上松也】は水面下で反幕の計画を進めていました。

そして、1221年、後鳥羽上皇【尾上松也】はついに北条義時【小栗旬】追討の宣旨を発します。
後鳥羽上皇挙兵の知らせに鎌倉の武士は動揺するも、北条政子【小池栄子】の大演説によって一致団結、戦いに臨むことになったとされています。

戦いは当初、敵を箱根・足柄で迎え撃つ作戦でしたが、大江広元【栗原英雄】、北条政子【小池栄子】が京への積極的な攻撃を主張。
武蔵国軍勢の合流を待たずして北条泰時【坂口健太郎】が鎌倉を出発。その後続々と軍勢は膨れ上がり、京へと向かいます。
北条泰時【坂口健太郎】は幕府軍の総大将として後鳥羽上皇【尾上松也】の軍を破り京へ入ります。
結果は幕府軍の圧勝でした。

北条義時が亡くなった後の北条泰時は?

1224年に父である北条義時【小栗旬】の急死を契機として伊賀氏の変が起こります。
これは北条義時の妻・伊賀の方(のえ【菊地凛子】)が、自身の息子である北条政村を次期執権にしよう画策した事件。
伊賀の方は三浦義村【山本耕史】の協力を取り付けようとしますが、これに気づいた北条政子【小池栄子】が三浦義村を説得。
大江広元【栗原英雄】の協力もあり、第3代執権を北条泰時【坂口健太郎】とすることで事件は収束しました。

1225年に大江広元、北条政子が亡くなると、北条泰時【坂口健太郎】は政治改革を推し進め、合議制の体制を整えていきます。
叔父である北条時房【瀬戸康史】を補佐役とし(連著)、泰時と時房に11人の評定衆を加えた合議体による政治体制を確立。立法、司法、政策・人事決定などを行いました。これは父である北条義時がかつて行った13人の評議制を思わせます。
また、武家政権・武家社会の基本法とも言うべき御成敗式目を制定しました。

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まとめ

坂口健太郎さん演じる北条泰時は、源頼朝死去の後、父である北条義時とともに、次の鎌倉殿擁立をめぐる陰謀や幕府内での権力争いの真っ只中に置かれます。
そして承久の乱では坂東武士の総大将として京へ乗り込むまでになります。また、父・北条義時の死後は武家政権の確立と安定に向け尽力していきます。
ドラマ序盤で亡くなった北条宗時【片岡愛之助】が残した言葉『坂東武者の世を作りたい』
その志を引き継いだとも言える北条義時【小栗旬】。そしてその息子である北条泰時もまたその思いを引き継いでいくと思われます。

北条泰時の生きた時代は、幕府内部、身内の関係、朝廷との関係がさらに複雑になる時代。ご紹介した人物や出来事・エピソードは、そのほんの一部に過ぎません。
三谷幸喜さん脚本の『鎌倉殿の13人』。これまでの放送も、笑いあり、涙あり、恐ろしさあり…様々な感情が動かされるドラマだと感じています。
これから登場する北条泰時も、そんな三谷ワールドの中で生き生きと躍動するに違いありません。今後の展開、さらに目が離せません!

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