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2022年1月放送開始『鎌倉殿の13人』の公式サイトで紹介されているストーリーがこちら。
NHK公式サイトより
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。北条一門はこの無謀な大博打に乗った。頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ち破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。 “飾り” に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵を取る。源氏の正統が途絶えたとき、北条氏は幕府の頂点にいた。都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を賭け、義時は最後の決戦に挑んだ──。
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。頼朝の天下取りは十三人の家臣団が支えていた。頼朝の死後、彼らは激しい内部抗争を繰り広げるが、その中で最後まで生き残り、遂に権力を手中に収めたのが、十三人中もっとも若かった北条義時である。
三谷幸喜さんが大河ドラマの脚本を手掛けるのは、2004年の『新選組!』、2016年の『真田丸』に続き3度目。
三谷幸喜さんのテレビドラマの代表作はなんといっても『古畑任三郎』。映画でも『ザ・マジックアワー』『清須会議』などの人気作品を数々手掛けています。
歴史好きとして知られ、群像劇を得意とする三谷幸喜さんが、13人の家臣団をどのように描くのか、大注目です。
主役の北条義時を演じるのは小栗旬さん。
過去の大河ドラマでは『天地人』(石田三成役)、『八重の桜』(吉田松陰役)、『西郷どん』(坂本龍馬役)にも出演経験があります。ドラマスタート時は、周りに振り回され困っている姿が印象的だった小栗旬さん。権力掌握までの道のり、これからの変化が大いに楽しみです。
他にも豪華な出演者が続々と登場。
大河ドラマの常連、西田敏行さん(後白河法皇役)や、大河ドラマで北条義時を演じたことのある松平健さん(平清盛役)。大泉洋さん(源頼朝役)や若手の菅田将暉さん(源義経役)、新垣結衣さん(八重)、その他にも三谷幸喜作品の常連とも言われる俳優陣が顔を揃えます。
また、語り(ナレーション)は長澤まさみさんです。大河ドラマの出演は、今回と同じ三谷幸喜さん脚本の『真田丸』以来、6年ぶりとなります。第39回『穏やかな一日』で登場しましたね。最終回までに再登場はあるのでしょうか?気になるところです。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は毎週日曜20時(BSでは18時)に放送されています。
初回放送は2022年1月9日(日)15分拡大でスタートしました。
源平合戦(治承・寿永の乱)は、以仁王(もちひとおう)の平氏追討の呼びかけをきっかけに、諸国の武士が兵をあげ平氏を滅ぼした内乱です。
平清盛は、保元の乱・平治の乱を後白河法皇側で戦い勝利して、大きな権力を持ちます。
後白河法皇は、平氏追討を企むものの、清盛により幽閉されてしまいます。清盛は自分の娘が産んだ皇子を天皇(安徳天皇)とすることで、ますます権力を持つことに。後白河法皇の皇子で皇位継承の道を絶たれた以仁王は、平氏追討を決意。
挙兵を呼びかけた以仁王と源頼政はすぐに討ち取られてしまうのですが、平氏追討の流れは止まらず、6年にも及ぶ源平合戦が続くことになります。
さて、以仁王の平氏討伐の呼びかけは、源行家らによって諸国の源氏に伝えられていくのですが、源頼朝がこれを聞いたのは、伊豆国で北条時政に監視されながらの流人暮らしの頃でした。そして、ついに挙兵を決意します。
挙兵した頼朝は伊豆国目代山本兼隆を討ち取るも、続く石橋山の戦いでは平氏方の大庭景親、伊東祐親に破れ、海を渡り安房国へと逃れ再起を図ります。
安房国への道中では安達盛長、土肥実平が、安房国に入ってからは、三浦義村、和田義盛、上総広常、千葉常胤、畠山重忠らが頼朝のもとに集結し、鎌倉入りをします。
鎌倉入り後に繰り広げられる数多くの戦いのうち、以下は今回キャスティングされた人物と関係が深そうな戦いです。
| 時期 | 戦い | 関連人物 |
|---|---|---|
| 1180年8月 | 源頼朝の挙兵 | 源頼朝、北条時政、北条義時、佐々木定綱、佐々木経高、佐々木盛綱、佐々木高綱 |
| 1180年9月 | 石橋山の戦い | 源頼朝、大庭景親、伊東祐親、北条時政、北条宗時、北条義時、梶原景時、土肥実平 |
| 1180年9月 | 衣笠城合戦 | 畠山重忠、三浦義澄、和田義盛 |
| 1180年11月 | 富士川の戦い | 源頼朝、武田信義、北条時政、北条義時 |
| 1181年3月 | 墨俣川の戦い | 源行家 |
| 1183年6月 | 倶利伽羅峠の戦い | 木曽義仲、巴御前 |
| 1183年11月 | 水島の戦い | 木曽義仲 |
| 1184年1月 | 宇治川の戦い・粟津の戦い | 源範頼、源義経、木曽義仲、巴御前 |
| 1184年3月 | 一ノ谷の戦い | 源範頼、源義経、梶原景時、畠山重忠、平宗盛 |
| 1185年3月 | 屋島の戦い | 源義経、梶原景時、源範頼、土肥実平、北条義時、和田義盛 |
| 1185年4月 | 壇ノ浦の戦い | 源義経、源範頼、梶原景時、平宗盛 |
※主な関連人物はキャスティング済み人物より(2021年11月時点)
壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡しますが、都とは離れ、豊かな財政と独自の勢力を持つ奥州藤原氏は源頼朝にとっての脅威でした。
奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡は子どもの頃の源義経を匿い養育した人物。その秀衡のもとに、義経が逃げ込んできます。再度義経を匿った秀衡ですが、その後しばらくして死去。息子の藤原泰衡があとを継ぎます。
そして頼朝はついに奥州藤原氏の追討を開始(1189年)。義経は自害し、泰衡は義経の首を頼朝に送るも「許可なく義経の首を取った」という理由で襲撃され、ついに奥州藤原氏は滅亡します。
その後、頼朝は上洛し後白河法皇と会見、後白河法皇が亡くなると、征夷大将軍に就任します(1192年)。
あまり多くの言葉を発しない後白河法皇【西田敏行】ですが、頼朝の夢にはたびたび登場し「平氏を討て」とせかすコミカルなシーンは印象的でした。そして平家が滅びると、次は義経と頼朝を引き離し己の権力の維持を画策する様子など、徐々に『大天狗』といわれる真の姿が見えてきました(第19回:果たせぬ凱旋)。そしてとうとうやってきた後白河法皇の最期、幼い後鳥羽天皇への言葉は「守り抜かれよ、楽しまれよ」。まさに『大天狗』と呼ばれた大人物の最期といったシーンでした(第22回:義時の生きる道)。
後白河法皇との権力をめぐる攻防を繰り広げながらも、最期は頼朝の首をとれぬまま死んだ平清盛【松平健】(第11回:許されざる嘘)。平清盛の最期の言葉は「頼朝の首をわしの墓前にそなえよ」。息子である平宗盛【小泉孝太郎】が頼朝と対することになるものの、壇ノ浦の戦いで破れ、平家は滅びることとなります(第18回:壇ノ浦で舞った男)。
伊豆国での流人時代、頼朝【大泉洋】は、伊東祐親【浅野和之】の娘・八重【新垣結衣】との間に子ども(千鶴丸【太田恵晴】)をもうけています。このことで伊東祐親は激怒、頼朝をめぐって北条時政と戦寸前に。結局、頼朝と八重の子である千鶴丸は、伊東祐親の下人、善児【梶原善】の手により殺されます(第2回:佐殿の腹)。このことは、後に伊東祐親の死を招く原因となってしまいます(第11回:許されざる嘘)。
そして頼朝は、伊東祐親に代わり監視役となった北条時政【坂東彌十郎】の娘・北条政子【小池栄子】と結婚し、子ども(大姫【南沙良】)をもうけます。
また、頼朝の愛妾となる亀【江口のりこ】は安房国で出会った漁師の妻として登場しました。北条政子が亀への嫉妬から起こす事件により、北条時政【坂東彌十郎】が伊豆へ帰ってしまう騒ぎに(第12回:亀の前事件)。北条時政と、その後妻りく(牧の方)【宮沢りえ】との関係がどのように変わっていくのかも楽しみです。
歴史的に諸説ある八重は、主人公である北条義時【小栗旬】の初恋の相手として、さらに、後に北条義時の子を産む母として描かれます(第15回:足固めの儀式)。北条義時【小栗旬】と八重【新垣結衣】の間に産まれるのが、後の第三代執権となる北条泰時【坂口健太郎】です。
自身が継いだ所領を伊東祐親【浅野和之】に押領され、妻まで奪われた工藤祐経【坪倉由幸】。『曽我物語』によれば、伊東祐親を恨んだ工藤祐経は、伊東祐親・河津祐泰【竹財輝之助】親子を襲撃し、河津祐泰は殺されます。このことが後に、有名な『曽我兄弟の仇討ち』を引き起こすことに。初回放送(第1回:大いなる小競り合い)をを観て、『鎌倉殿の13人』で曽我兄弟の仇討ちをやるのでは?!と思われた方も多いはず。
第22回『義時の生きる道』では、曽我十郎【田邉和也】曽我五郎【田中俊介】の曽我兄弟が登場。曽我兄弟は、五郎の烏帽子親である北条時政には仇討ちの協力を、一方で、時政には伏せていた頼朝暗殺計画について比企能員に明かす場面がありました。第23回『狩りと獲物』では、いよいよ富士野での巻狩り、曽我兄弟の仇討ちの場面の予定(2022年6月12日放送予定)。
初回放送で工藤祐経に「伊東祐親を殺せ」と直接命じたのは源頼朝【大泉洋】。巡り巡ってついにやってくる曽我兄弟の仇討ちの場面は見逃せません。
仇討ちで有名な曽我兄弟。十郎【田邉和也】が兄、五郎【田中俊介】が弟。ともに伊東祐親【浅野和之】の孫であり、父・河津祐泰【竹財輝之助】を工藤祐経【坪倉由幸】の襲撃によって亡くしています。第17回『助命と宿命』では、二人の子どもが工藤祐経に石を投げつけるシーンがありました。この二人の子どもはおそらく曽我兄弟。
そして第22回『義時の生きる道』で曽我十郎、曽我五郎として登場します。烏帽子親である北条時政に仇討ちの協力をとりつける二人。また、比企能員には岡崎義実【たかお鷹】と共に、仇討の混乱に乗じて頼朝を討つ計画を伝えます。頼朝への不満を募らせる坂東武士達、比企能員の思惑、烏帽子親である北条時政…曽我兄弟の仇討がどのように描かれることになるのか。この事件の後の鎌倉がどうなるのか、序盤の大きなポイントに関わるキーパーソンと言えるでしょう。
石橋山の戦いで頼朝を破る二人。しかし、山中に逃げ隠れた頼朝を発見した梶原景時【中村獅童】は、大庭景親【國村隼】にその発見を告げずに逃します(第6回:悪い知らせ)。この梶原景時はのちに鎌倉殿の13人の一人に。また、石橋山の戦いで北条時政は嫡男の北条宗時【片岡愛之助】を失うことになります。ドラマの序盤、伊東祐親に追われる頼朝を最初に匿ったのが北条宗時。この人がいなければこのドラマでの北条のストーリーは始まらなかった、といっても過言ではないでしょう。善児【梶原善】の手によって志半ばで殺された宗時の最期のシーン(第5回:兄との約束)は印象的でした。
石橋山の戦いで破れ、安房国へ逃れ再起を図る頼朝。関東の武将が次々と合流していくのですが、なかでも、房総半島の豪族、上総広常【佐藤浩市】がなぜ彼に合流したのか、どのようなキャラクターとして描かれるのかは大きな注目ポイントでした。最初は頼朝の下につくことに抵抗していた上総広常でしたが、後に平家を倒して京にのぼることを目指し、頼朝を支えようとします。しかし謀反の疑いをかけられ梶原景時の手によって殺されることに(第15回:足固めの儀式)。「俺は素直な男だから」その言葉の通りの最期に悲しみと衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。
また、元は平氏方で頼朝討伐に向かったものの、後に頼朝に仕える畠山重忠【中山大志】。『坂東武士の鑑』と称された畠山重忠を中山大志さんがどのように演じるのか楽しみです。
そして、鎌倉にいる頼朝とは離れて活動し『われこそが源氏の棟梁である』と譲らない姿勢の甲斐源氏・武田信義【八嶋智人】の今後の動向も気になるところです。
特に戦いの場面では、源義経【菅田将暉】、木曽義仲【青木崇高】にに注目。戦功をあげながらも兄・頼朝に疎まれる義経【菅田将暉】、同じく戦いでは活躍し入京まで果たしながら、最後は義経に討ち取られる木曽義仲【青木崇高】。結果的に、頼朝を鎌倉殿の地位にまで押し上げたとも言える二人。戦い以外の場面でも、いずれも頼朝の兄弟従兄弟でありながら、彼にあやつられ、時の権力に翻弄される姿を、菅田将暉と青木崇高という個性的な俳優二人がどのように演じるのか。
従来の一般的なイメージとは異なる源義経、木曽義仲として登場した二人(第8回:いざ、鎌倉/第14回:都の義仲)。
第16回『伝説の幕開け』では、梶原景時に「八幡大菩薩の化身」とまで言わせた義経の戦いぶりが描かれる一方で、義経に追い詰められながらも義を貫いた義仲の最期が描かれました。
そして義経は壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼすも、幼い安徳天皇の命と三種の神器である宝剣を失う結果に。平家を滅ぼした義経は壇ノ浦で捕らえた平宗盛【小泉孝太郎】を護送し鎌倉に向かうも、頼朝は義経の鎌倉入りを許さず、義経は腰越に足止めされることに(第18回:壇ノ浦で舞った男)。この時、義経が頼朝へ向けて書いたとされるいわゆる『腰越状』は、本ドラマでは平宗盛が代筆したこととされました。しかしその結果、頼朝の怒りを買い、そのまま京へと帰されることになります。そんな義経を京で待ち受けているのは、頼朝と義経を近づけさせまいと画策する後白河法皇【西田敏行】。そして源行家【杉本哲太】にそそのかされた義経は後白河法皇に頼朝討伐の宣旨を出すよう願い出、受け入れられます。しかし兵を集めることができなかった義経は結局京から逃げることに。すると『大天狗』後白河法皇はすぐさま今度は頼朝に義経討伐の宣旨を出すのでした(第19回:果たせぬ凱旋)。第20回『帰ってきた義経』では、奥州へ帰ってきた義経の藤原秀衡【田中泯】との対面、ともに走り続けた弁慶【佳久創】との別れが描かれます。生きて、兄・頼朝と再び会うことはできなかった義経。義経の首だけが頼朝のもとに帰り、その首を抱えて泣く頼朝の姿がありました。
鎌倉入りした兄・源頼朝【大泉洋】のもとに駆けつけた源範頼【迫田孝也】。源平合戦では頼朝の代官として、弟である源義経【菅田将暉】とともに、平氏追討に尽力します。第16回『伝説の幕開け』では、血気盛んな義経のフォローをする場面も。源平合戦後も兄・頼朝に仕えるものの、曽我兄弟の仇討の際に発した言葉が発端で謀反の疑いをかけられ伊豆国に流されることになる頼範(第24回:変わらぬ人)。比企の裏切りも口にせず、弁明なきままの最期でした。
奥州の覇者、藤原秀衡【田中泯】。義経を養育し、逃げ延びた義経を匿った人物。演じるのは独特な雰囲気をまとう田中泯さんです。『龍馬伝』での吉田東洋役も印象的でした。頼朝の元へ向かう義経との、ほんのわずかなシーンでもその存在感を見せた田中泯さん(第7回:敵か、あるいは)。第19回『果たせぬ凱旋』で、義経【菅田将暉】は京から逃げることに。その行く先は育ての親である藤原秀衡のもとでした。第20回『帰ってきた義経』は、田中泯さんだからこそ!の場面の連続。「平家を倒したのはお前だ、ようやった」まさに親のごとく義経を迎えた秀衡。その死に際の場面、死後再び義経の前に現れる場面での秀衡の佇まい、舞、動き、姿、すべてが藤原秀衡は田中泯さんでなくてはならなかったと思わせるものでした。
後白河法皇が崩御、即位した後鳥羽天皇によって征夷大将軍に任ぜられた頼朝は、1199年、突然の死を迎えます。
そして頼朝と北条政子の息子、18歳の源頼家が鎌倉幕府第2代将軍、鎌倉殿に。生まれながらの鎌倉殿ともいえる頼家は、これまでの習慣を無視した独断的なところがあったようです。そこで母方の北条氏を中心とした御家人による指導体制、13人の合議制がしかれることになります。
いよいよタイトルの『鎌倉殿の13人』が本格的にうごめき、北条義時の権力掌握へのストーリーが始まることになります。
※キャストは2022年3月時点
| 人名 | 役職 | キャスト |
|---|---|---|
| 北条時政(ほうじょうときまさ) | 伊豆・駿河・遠江守護 | 坂東彌十郎 |
| 北条義時(ほうじょうよしとき) | 寝所警護衆(家子) | 小栗旬 |
| 大江広元(おおえのひろもと) | 政所別当 | 栗原英雄 |
| 中原親能(なかはらちかよし) | 政所公事奉行人、京都守護 | 川島潤哉 |
| 二階堂行政(にかいどうゆきまさ) | 政所執事 | 野仲イサオ |
| 三善康信(みよしやすのぶ) | 問註所執事 | 小林隆 |
| 梶原景時(かじわらかげとき) | 政所別当、播磨・美作守護 | 中村獅童 |
| 安達盛長(あだちもりなが) | 三河守護 | 野添義弘 |
| 足立遠元(あだちとおもと) | 公文所寄人 | 大野泰広 |
| 八田知家(はったともいえ) | 常陸守護 | 市原隼人 |
| 比企能員(ひき よしかず) | 信濃・上野守護 | 佐藤二朗 |
| 三浦義澄(みうらよしずみ) | 相模守護 | 佐藤B作 |
| 和田義盛(わだよしもり) | 侍所別当 | 横田栄司 |
13人の合議制が始まっても、頼家と御家人との関係はあまり良いものではありませんでした。13人の合議制に反発した頼家は小笠原長経(弥太郎)、中野能成(五郎)、比企宗朝(三郎)、比企時員(弥四郎)ら※といった近習らを指名し、彼らを通して政を行おうとします(『吾妻鏡』)。
そんな折、頼朝の頃からの御家人・結城朝光【高橋侃】は「忠臣は二君に仕えずという。あの時出家すべきだった」と嘆きます。このことを伝え聞いた梶原景時は頼家への裏切りだとして怒ります。
※ドラマ内では北条頼時(泰時)【坂口健太郎】、北条時連(時房)【瀬戸康史】もこのメンバーに入っています
ここで絡んでくるのが北条時政の娘、実衣(阿波局)。実衣(阿波局)は朝光に伝えます。「あなたの言葉は謀反の証拠として梶原景時が頼家に伝え、あなたは殺される」と。驚いた朝光が三浦義村にこれを相談。義村は和田義盛ら御家人たちに呼びかけ、景時を糾弾する連判状が作成され、頼家へと渡ります。そして景時は鎌倉から追放され、1200年、上洛途中の梶原一族は討ち取られ、滅亡することになります。
侍所別当であった梶原景時の失脚は、頼家にとって大きな打撃でした。そして、景時失脚後に頼家がたのみにしたのが比企能員です。能員は源頼朝の乳母を務めた比企尼の猶子(実親子ではないが親子関係を結んだ)で、頼家の乳母父でもあります。13人の一人であり、娘の若狭局(本ドラマでは“せつ”)は頼家の側室で、一幡を産んでいました。この能員の存在に北条時政と頼家の母・北条政子は危機感をいだいていたようです。
1203年、頼家は病に倒れ、危篤状態に陥ります。そこで問題になるのが頼家の後継者問題。 頼家の嫡子である一幡と、頼家の弟・千幡(のちの源実朝)のいずれが後継者になるのか。結局、一幡と千幡への平等分割相続の決定がなされると、能員は怒り、若狭局(本ドラマでは“せつ”)を通じて頼家に伝え、頼家は北条時政を討つことを承諾します。
これを聞いた北条政子はすぐに時政へと伝え、時政は政所別当である大江広元に能員追討を相談し、自邸に能員を呼び寄せ誅殺します。その後、比企氏一族は一幡の屋敷に籠城するも、火を放たれほとんどが自害、討伐され、比企氏の所領もすべて没収されることとなりました。
比企能員の変の後、北条時政は、頼家がいまだ生きているにもかかわらず、12歳の源実朝を第3代将軍に擁立。頼家は幽閉され、北条義時の刺客により殺されます。そして時政自らは初代執権となり幕府の実権を握り、息子義時と共に幕政を運営していくことになります。
1204年、執権となった北条時政【坂東彌十郎】に、上洛した御家人たちの酒宴の席での争いが報告されます。時政の後妻、りく(牧の方)【宮沢りえ】の娘婿である平賀朝雅【山中崇】と、時政の前妻の娘婿、畠山重忠【中川大志】の嫡子・重保【杉田雷麟】の言い争いです。同じ頃、重保と共に上洛していた時政とりくの子・政範が急死。平賀朝雅と畠山重保の言い争いについて、りく(牧の方)から『畠山親子に謀反の疑いがある』と知らされた時政は、義時らに相談するも「畠山重忠が謀反の企てなどするわけがない」と反対されます。しかし時政はそれを押し切り、畠山氏の排斥を企みます。まずは『謀反人が由比ヶ浜に有り』との偽情報を流し、駆けつけた畠山重保を誅殺。それを聞いた父・畠山重忠は潔く戦うことが武士の本懐とし、二俣川にて北条義時率いる大軍を迎え撃つ決断をします。しかし最後は矢に討たれ亡くなる結果に。畠山重忠・重保父子は滅ぼされました(畠山重忠の乱)。その後、義時は重忠謀反というのは事実ではなく重忠が無実であったことを主張。重忠討伐軍に加わっていた稲毛重成【村上誠基】親子らは重忠を陥れた者として三浦義村らにより殺されます。
この事件は武蔵国をめぐる勢力争いだとも言われています。畠山重忠は秩父氏が代々継承してきた武蔵国の武士団を統率する地位にある有力御家人でした。そしてその武蔵国は関東御分国の一つであり、鎌倉防衛上の要地。この頃の武蔵国司が平賀朝雅であり、北条時政も武蔵国の行政権を掌握していました。武蔵国には比企能員の変により滅んだ比企家とつながりを持つものも多く、比企家滅亡後の武蔵国を支配したい時政にとって、畠山重忠は対立する関係になったとも言われています。また、りく(牧の方)の息子・政範(北条家の後継者と目されていた)の急死も影響したのではないかと言われています。
この事件の後、時政とりく(牧の方)は第3代将軍実朝に代わり、平賀朝雅を将軍にしようと画策。 畠山重忠の件に続き、この強硬なやり方に娘、息子である北条政子【小池栄子】と義時【小栗旬】は反発。時政を鎌倉から追放します。京にいた平賀朝雅も義時の命により誅殺されました。
そして、北条氏の第2代執権に北条義時が就任することになるのです。
北条時政【坂東彌十郎】と北条義時【小栗旬】。序盤から登場するこの二人は、やはりこの中盤で本格的にストーリーの中心になるでしょう。
第2代鎌倉殿である源頼家【金子大地】の後継者をめぐり、北条と比企の対立は激化していきます。娘のせつ【山谷花純】が産んだ一幡を後継者にしたい比企能員に対し、北条政子【小池栄子】の息子であり、実衣と阿野全成が乳母夫をつとめる千幡を後継者にと考える北条時政【坂東彌十郎】とりく【宮沢りえ】。第29回『ままならぬ玉』では、阿野全成【新納慎也】に源頼家を呪い殺すように依頼します。しかしこれは結果的に比企能員に利用され、阿野全成の死につながることに。
そして、鎌倉幕府初代執権となった時政【坂東彌十郎】を追放することになるのが、息子である北条義時【小栗旬】。時政と比企能員の企みが原因で阿野全成が亡くなった第30回『全成の確率』で、「鎌倉殿の元で悪い根を断ち切る」と言った義時。第31回『諦めの悪い男』では比企能員を滅ぼした北条親子。第33回『修善寺』では源頼家が殺され、源実朝が第3代鎌倉殿に、北条時政【坂東彌十郎】は初代執権の座に。りく【宮沢りえ】の助言もあり、時政は武蔵守の座をも掌握しようと企みます。これがいわゆる畠山重忠の乱を呼び起こすきっかけとなります。今後の二人の、親子だからこその心情や企みがどのように描かれるのか、大注目です。
北条泰時【坂口健太郎】は、北条義時【小栗旬】の長男。幼名は金剛。母は八重【新垣結衣】。後の第3代執権となる北条泰時【坂口健太郎】は、比企能員の変や和田合戦など、父である北条義時【小栗旬】と共に戦い、承久の乱では幕府軍の総大将として京に乗り込むまでになります。
北条泰時についてはこちらでも解説しています
北条時房【瀬戸康史】は、北条義時【小栗旬】の弟であり、北条泰時【坂口健太郎】の叔父にあたる人物。後に鎌倉幕府の初代連著(執権の補佐役)となる人物で、北条泰時を支え、共に武家政権の安定のために政治改革を行っていきます。
のちの執権と連署になる北条泰時との関係は、ドラマ中盤、そして終盤に向けてより強固なものになっていくのではないでしょうか。
阿野全成【新納慎也】は、源頼朝の異母弟であり、北条時政の娘・実衣【宮澤エマ】の夫。序盤では実衣との出会いやまるでコントのような和やかな二人の関係が描かれました。妻である実衣が源頼朝【大泉洋】の次男・千幡(のちの源実朝)の乳母となり、徐々に権力争いの渦に巻き込まれていきます。第29回『ままならぬ玉』では、頼家の跡継ぎをめぐり一幡を推す比企能員と争う北条時政【坂東彌十郎】とりく【宮沢りえ】に源頼家【金子大地】を呪うよう依頼され、しぶしぶ従います。しかし蹴鞠の練習をする頼家が井戸に落ちる騒動に遭遇し、呪詛を諦めた阿野全成。しかしこのままで終わるわけもなく常陸国に配流されます。そして比企能員から『実衣の身が危うい』と騙され呪詛の道具を渡された阿野全成。実衣を守るべく道具を手に取った彼は、配流先であった常陸国の守護、八田知家【市原隼人】に謀反人として誅殺されました。処刑の場面、嵐を起こし、己の血を見て「よく赤が似合う」実衣の名を叫んだ阿野全成。悲しく心に残る最期でした(第30回:全成の確率)。
北条政範【中川翼】は北条時政【坂東彌十郎】とりく【宮沢りえ】の息子。源実朝が京から正室を迎える際の使者として上洛し、京で急死したとされています。また、北条政範の死が時政とりくに伝えられたのは、同じく京にいた平賀朝雅【山中崇】と畠山重保(畠山重忠【中川大志】の息子)との揉め事についての報告と同時であったと言われています。北条政範の急死は畠山重忠の乱・牧氏事件のきっかけの一つでもあるとされています。
第2代鎌倉殿になる源頼家【金子大地】は、生まれた時から源頼朝【大泉洋】の後を継ぐ『生まれながらの鎌倉殿』として育てられてきた人物。しかし父・頼朝の急死により、18歳という若さで第2代鎌倉殿の地位につくことになります。重責のなか、北条家と比企家の権力争いに巻き込まれていくことに。病に伏せ、回復するもその間に比企能員の変が起こり、比企の一族で側女であるせつ【山谷花純】は殺され、その後息子の一幡も殺されます。そして自らも修善寺に幽閉され、最後は暗殺されました(第33回:修善寺)。
平賀朝雅【山中崇】の父は源頼朝に重用された武蔵守・平賀義信。母は頼朝の乳母である比企尼の三女。また、頼朝の猶子(実親子ではないが親子関係を結んだ)となっており、妻は北条時政の後妻であるりく(牧の方)【宮沢りえ】の娘です。比企、北条と、武蔵と関係があり、京、後鳥羽院【尾上松也】とのつながりも強かったことがその人生を大きく動かすことになります。比企能員の変では、北条氏側として比企氏討伐軍に加わります。その後第3代将軍・源実朝【柿澤勇人】擁立の際に京都守護として京へ派遣され、平家残党の反乱を鎮める活躍をし、院の殿上人(天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ることを許された者)となり後鳥羽院【尾上松也】とのつながりを深めます。
1204年、源実朝の御台所を京都から迎えるための交渉役を務めた平賀朝雅は、酒宴の席で武蔵国の御家人・畠山重保と口論になります。※畠山重保は畠山重忠【中川大志】の息子。この口論が発端となったのが畠山重忠の乱、牧氏事件。最終的に北条義時・政子が父である北条時政を鎌倉から追放することに。そして平賀朝雅も鎌倉殿の座を狙ったこと・北条政範の死と畠山重忠に罪をなすりつけたことを理由に誅殺されました(第38回:時を継ぐ者)。
土御門通親【関智一】は後白河から土御門まで7代の天皇に奉仕した朝廷の実力者で、九条兼実【田中直樹】の政敵。和歌にすぐれ『新古今和歌集』などに作品が残されています。演じるのは声優としても大活躍の関智一さん。アニメ『ドラえもん』のスネ夫や『鬼滅の刃』不死川実弥の声など、多くの作品でご活躍です。
平氏全盛の頃は平清盛【松平健】の姪を妻にし平氏に接近し政界に進出。しかし平氏が都落ちすると今度は後鳥羽天皇【尾上凛・尾上松也】の乳母・藤原範子を妻に迎え政治的立場を変更。後白河天皇【西田敏行】の近臣となっています。
後白河法皇の死後は、その寵妃であった丹後局【鈴木京香】と結束をはかり権力を保持。養女(藤原範子の連れ子)を後鳥羽天皇に嫁がせます(養女は後の土御門天皇を生むことになります)。この通親・丹後局の力に目をつけた頼朝と、大姫の入内工作入内問題で接近し、政敵であった九条兼実【田中直樹】を追放しています。
九条兼実【田中直樹】は、娘を後鳥羽天皇【尾上凛・尾上松也】の中宮にし天皇との結びつきを強め、太政大臣に就任。後白河法皇【西田敏行】が崩御すると、頼朝【大泉洋】の征夷大将軍宣下をとりはからい、関白の地位にまでのぼります。しかし、後白河法皇の寵妃であった丹後局【鈴木京香】と組んだ土御門通親【関智一】の策略により失脚することになります。
後白河法皇【西田敏行】の側室であり、彼女の一言で政治が左右されるとも言われた丹後局を演じるのは鈴木京香さん。後白河法皇の死後は、法皇との間に生まれた宣陽門院と大所領を背景に、院政の実力者として力をふるいます。土御門通親【関智一】と手を結び、九条兼実【田中直樹】を失脚させました。第24回『変わらぬ人』では、大姫【南沙良】を連れて面会した北条政子【小池栄子】に、辛辣ながらも的確な言葉を浴びせる姿が印象的でした。
梶原景時【中村獅童】と比企能員【佐藤二朗】は鎌倉殿の13人のなかで、いずれも北条親子の力によって滅ぼされる御家人です。序盤は頼朝、義経との関係で注目された梶原景時【中村獅童】。頼朝亡き後は、13人の一人として源頼家【金子大地】を支えようとします。しかし頼家が安達盛長【野添義弘】の息子・安達景盛【新名基浩】の妻を奪おうとする事件などが起こり、御家人たちの頼家への信頼が失われることを恐れた梶原景時は、結城朝光【高橋侃】の発言をとらえ、これを見せしめとして処刑しようとします。これに反発した他の御家人たちの連判状により、梶原景時は鎌倉から追放されることになりました(梶原景時の変 第28回:名刀の主)。第29回「ままならぬ玉」の冒頭では、京へ向かうも討ち取られた梶原景時の首が映されています。
そして、序盤では頼朝と八重の密会をめぐり、比企尼【草笛光子】と妻・道【堀内敬子】との間でコミカルな表情を見せていた、比企能員【佐藤二朗】。源頼朝の嫡男である万寿(のちの源頼家【金子大地】)の乳母父となり、姪の里【三浦透子】を義経に嫁がせるなど、徐々に比企の権力拡大を狙っています。第22回『義時の生きる道』では、曽我兄弟からの頼朝暗殺計画を含んだ誘いに、いずれに転んでも比企有利とほくそ笑む場面も。中盤では、娘のせつ【山谷花純】が源頼家の側女としてその長男・一幡をもうけ、さらに権力を掌握しようと画策を続けます。第30回『全成の確率』では、所領の再分配をめぐり頼家から「比企の上野の所領を近隣の御家人に渡せ」と迫られ激怒。常陸国へ流罪となっていた阿野全成【新納慎也】を処刑に追い込み、いよいよ北条との対立は鮮明になりました。頼家が病に倒れ、いよいよ比企能員の変へと続くことになります。第31回『諦めの悪い男』で、あくまで和議の申し込みを受ける形で北条の館に呼び出された比企能員。しかしそこで北条時政らに取り囲まれ、最後は仁田忠常の手によって殺されます。恨み、怒り、無念、すべての感情が吹き出したような最期の表情は圧巻でした。
安達盛長【野添義弘】は源頼朝【大泉洋】の流人時代から側近として支え、頼朝の挙兵、源平合戦と、常に頼朝の側にいた人物。序盤でも、「佐殿」「藤九郎」と互いを呼び合う場面が多くありました。頼朝の死後は出家し蓮西」(れんさい)と号するようになります。そして源頼家【金子大地】が第2代鎌倉殿になると、それを補佐する13人のひとりとして幕政に参加していくことになります。頼家が自身の息子・安達景盛【新名基浩】の妻を奪おうとした際も、頼家のためを思い決して譲ろうとはしませんでした。そんな安達盛長の最期は『骨になったあとも佐殿のお側に』と言い残し、穏やかに亡くなる場面でした(第29回:ままならぬ玉)。
和田義盛【横田栄司】は三浦氏の支族「和田氏」の出身。ドラマ内では源頼朝【大泉洋】の伊豆での流人時代、北条宗時【片岡愛之助】に頼朝の保護を依頼されるなど、序盤から登場。愛嬌あるキャラクターとして描かれてきました。伊豆から逃れた頼朝が安房国で坂東武士たちを引き連れ鎌倉入りした後は、初代侍所別当に任命されます。頼朝の死後は、源頼家を支える13人の一人に。源実朝【柿澤勇人】の代になり徐々に北条が権力を握っていくなか、和田義盛は上総国司(上総介)への推挙を実朝に願い出ます。実朝はなんとかしてやりたいと考えますが、和田義盛が国司となる身分ではなかったことや、頼朝以来のルールを変えることに北条政子【小池栄子】、北条義時【小栗旬】、大江広元【栗原英雄】らの反対もあったとされ、結局その願いが叶うことはありませんでした。その後、いわゆる和田合戦が起こることに。和田一族は北条により滅ぼされることとなります。
なお、ドラマ内では亡き木曽義仲の愛妾であった巴御前【秋元才加】を引き取っており、こちらの今後も気になるところ。
大江広元【栗原英雄】は朝廷に仕える下級貴族から源頼朝【大泉洋】の側近となり、鎌倉幕府の公文所(後の政所)初代別当になった人物。京都との交渉を含めた政務を取り仕切る有能な官僚としての姿はすでに序盤から描かれてきました。頼朝の死後は源頼家、続く源実朝の代においても鎌倉殿を補佐していくことになります。
京都の下級公家だった三善康信【小林隆】。序盤では京に身を置き、挙兵前の源頼朝に京都の情勢を知らせていました。鎌倉に下向後は文書作成などの実務に携わり、後に初代問註所(訴訟機関)執事となります。
曽我兄弟の仇討ちの際、頼朝が討たれたとの誤情報をきっかけに源範頼が謀反の疑いで伊豆の修善寺に幽閉され、その後善児【梶原善】により殺された事件。ここでの三善康信は源範頼を頼朝亡き後の鎌倉殿にと動き、結果としてそれが範頼の死を招くことに(第23回:狩りと獲物 第24回:変わらぬ人)。第44回『審判の日』では、実朝に頼家の死の真相を問われる場面が。それを聞いた実朝は自分が鎌倉殿になるべきではないと公暁を訪れることに。承久の乱の際には、病でありながら会議に参加し即時の出兵を支持、その後亡くなります。
足立遠元【大野泰広】は武蔵国足立郡(現東京都足立区から埼玉県北足立郡)を本拠とした武士で、早くから源氏の家人であったとされています。頼朝の死後は頼家を支える13人の一人に。武士でありながら公文所(文書の保管や政務の処理を行う)での仕事も行い、文官としての面も併せ持つ人物であったとされています。なお、足立遠元の娘は、畠山重忠【中川大志】、北条時房【瀬戸康史】に嫁いでいます。また娘の一人は京の院の近臣に嫁ぎ京との縁も深めていたようです。ドラマ内では北条政子【小池栄子】に「権力争いが怖い」と相談し、所領に帰ることを認められ退場となりました(第36回:武士の鑑)。
序盤では何やら力仕事をしている場面が多かった八田知家【市原隼人】。源頼朝の挙兵に参加、奥州藤原氏との戦い奥州合戦では東海道大将軍に任ぜられたとされている人物です。
源頼朝の死後は、源頼家【金子大地】への謀反の疑いで常陸国へ流された阿野全成【新納慎也】を誅殺します。
中原親能【川島潤哉】は源頼朝の側近として朝廷と幕府との交渉役として働いた人物。上洛を繰り返し京都守護とも称されました。諸説ありますが大江広元の兄としている系図(『尊卑分脈』)もあります。中原親能の妻は頼朝【大泉洋】と政子【小池栄子】の次女・三幡の乳母。頼朝は三幡の入内計画を進めるも、その途中で亡くなり、その後すぐ三幡も亡くなります。そして親能は出家します。
二階堂行政【野仲イサオ】は京で下流官人として朝廷に出仕していましたが、頼朝により鎌倉に招かれたとされています。鎌倉では公文所の設置などに関わり、政所設置後は大江広元のもとで仕事をしたとされ、実務能力を高く評価された人物。二階堂の姓は、行政が頼朝に造立を任命され完成させた永福寺(ようふくじ)の仏堂が2階建てであったことによるものとされています(それまでは工藤行政)。また、二階堂行政の孫ののえ(伊賀の方)【菊地凛子】は北条義時【小栗旬】の3人目の妻となります。
比奈【堀田真由】は比企能員【佐藤二朗】の姪。比企尼【草笛光子】の孫。のちに北条義時【小栗旬】の正室。
源頼朝が征夷大将軍となり、政子【小池栄子】の間に千幡(のちの源実朝)が誕生。第22回『義時の生きる道』では、北条家への権力集中を恐れる比企能員と妻の道【堀内敬子】が、比奈を頼朝の側室として送り込むことを計画。比奈を気に入った様子の頼朝でしたが、政子の手前もあったのか、八重【新垣結衣】を失った義時の妻にと考えます。
後に義時の妻となり、北条と比企の権力争いの中に身を置くことになる比奈。のちに起こる比企能員の変により、比企氏は比奈の夫である義時に滅ぼされることになります。
せつ【山谷花純】は比企能員【佐藤二朗】の娘で第2代鎌倉殿である源頼家【金子大地】の側女。頼家の長男・一幡を産みます。第31回『諦めの悪い男』での比企能員の変。北条泰時【坂口健太郎】らは比企の館に乗り込みます。息子の一幡をかばい前に進み出た彼女は、善児【梶原善】の弟子・トウ【山本千尋】の手によって殺されました。
つつじ【北香那】は源頼家【金子大地】の妻。NHK公式サイトの紹介では『賀茂重長の娘。母は源頼朝の叔父・為朝の娘。のちに公暁を産む』とあります。第25回『天が望んだ男』で、すでに比企の娘せつを妻にしている頼家が義時【小栗旬】に「つつじという女性を妻に迎えたい」と相談します。頼家とつつじの間を取り持ったのは三浦義村【山本耕史】。つつじの母が頼朝【大泉洋】の叔父・鎮西八郎為朝の娘であり、源氏の一門であることを伝えます。源氏の血を重視した頼朝により、つつじが頼家の正妻になり、比企の娘・せつ【山谷花純】は側女ということになりました。つつじの息子・公暁は出家、のちに源実朝【柿澤勇人】を暗殺することになります。
三浦義村【山本耕史】の父であり、北条時政の若い頃からの友人でもある三浦義澄【佐藤B作】。源平合戦の緒戦である石橋山の戦いには間に合わなかったものの、その後は頼朝と共に鎌倉入りしその後の主要な戦いに従軍。頼朝の宿老としての地位を築きます。頼朝の死後も源頼家を支える13人の一人となり、翌年の梶原景時の変では景時の鎌倉追放に加担。しかし同年病気により亡くなります。幼い頃からの親友、北条時政【坂東彌十郎】に看取られての最期でした(第29回:ままならぬ玉)。
「鎌倉で起きた事件にはすべて関わりがある」とも言われる三浦義村【山本耕史】。梶原景時の変、牧氏の変、和田合戦、源実朝の暗殺、そのすべてに関わっていたとされています。NHKの鎌倉殿の13人の公式サイトでは主人公・北条義時の盟友と紹介されています。
京土産を大判振る舞いする時政に困っている義時をフォローする一方、北条がかくまった頼朝の首をはねてしまえと言ってみたり、大庭景親に北条と伊東の仲裁を依頼したりと、ドラマの序盤からいかにも曲者の雰囲気が漂う義村。頼朝亡き後の中盤では、梶原景時の追放の裏で結城朝光【高橋侃】を動かし、源頼家【金子大地】とつつじ【北香那】の子、善哉(のちの公暁)の乳母夫ともなっています。三浦義村を演じる山本耕史さんは、三谷幸喜さん脚本の大河ドラマ『新選組!』で土方歳三、『真田丸』では石田三成を、『平清盛』では藤原頼長を演じ、いずれも印象に残る演技を見せてくれました。今回、どのような三浦義村を演じるのか必見です。
『坂東武士の鑑』と称されたと言われる畠山重忠【中川大志】。父・畠山重能が平氏の忠臣として仕えていたため、石橋山の戦いでは平氏側について勝利を収めています。しかしその後源頼朝に仕えることとなり、以降数々の武功をたてることとなります。頼朝の死後は源頼家【金子大地】の補佐役に。また頼家の弟である源実朝【柿澤勇人】の後見人となります。第33回『修善寺』では、初代執権となった北条時政【坂東彌十郎】が、比企滅亡に乗じて武蔵守の座を狙っている話が畠山重忠の耳に入ります。武蔵国を本拠とし武士団を統括する地位にあった畠山重忠が、そのことについて時政に直接問いただす場面がありました。第34回『理想の結婚』では、北条時政から「武蔵守にする代わりに惣検校職の地位を譲るように」とのより具体的な話が。武蔵国をめぐる北条時政と畠山重忠の対立が見えてきました。そんな彼の最期となるのが、いわゆる畠山重忠の乱と言われる事件。和田義盛との場面、義時との戦いも印象的な、武士としての誇りを最後まで貫いた生涯でした(第36回:武士の鑑)。
源頼朝【大泉洋】の死後の幕府内の権力争いにより、梶原景時【中村獅童】、比企能員【佐藤二朗】、畠山重忠【中川大志】はすでに滅ぼされ、執権である北条氏はより力を増していました。源実朝【柿澤勇人】が第3代鎌倉殿の時代です。和田義盛【横田栄司】は、源頼朝の挙兵の頃からの家臣であり、初代侍所別当でもある武勇の人。源実朝に「一生の余執※」として上総国司への推薦を願い、実朝もなんとか叶えてやろうと苦心しますが、身分の問題や北条政子【小池栄子】、北条義時【小栗旬】らの反対があったとされ、結局その願いは叶いませんでした。
※余執:心に残って離れない執着のこと
1213年。和田義盛の留守中に、第2代鎌倉殿であった源頼家の子・千寿(または千寿丸・千手丸とも。後の栄実)を将軍にし北条氏を滅ぼそうとする陰謀が発覚(泉親衡の乱)。その陰謀に関わったとして和田義盛の息子(義直、義重)、甥(胤長)が捕らえられます。
義盛が一族の釈放を願い出て息子たちは釈放されるも、甥の胤長は釈放されず。さらに一族を引き連れ胤長の釈放を願いでるも、その場で北条義時【小栗旬】に却下されます。しかも一族の目の前で縛り上げた姿をさらされるという屈辱を与えられることに。胤長の娘は悲しみのため亡くなり、さらに胤長の屋敷は取り上げられ和田一族ではない者へと与えられるなど、度重なる挑発ともとれる動きに、和田義盛一族はついに将軍御所を襲撃を企てます。この時、同族の横山氏や三浦義村【山本耕史】らを取り込み、三浦義村は起請文も書いたとされます。
和田一族は決起し北条義時邸、大江広元邸を襲撃。続いて大倉御所(鎌倉殿の御所)に火を放ち襲撃。しかし三浦義村は寝返り幕府方を援護します。一旦由比ヶ浜に撤退後、横山勢が駆けつけ盛り返したかに見えた和田義盛ら軍勢。しかし実朝の御教書(将軍の意を承って出される奉書)が出されたこともあり御家人が幕府方につくことにより再び劣勢に。北条泰時【坂口健太郎】、北条時房【瀬戸康史】らが守る鎌倉市街地での激戦を経て、由比ヶ浜に後退。息子の和田義直が討ち取られ嘆く和田義盛もついに討ち取られたと言われています。
1219年、鶴岡八幡宮の右大臣拝賀において、頼家の子・公暁により、第3代将軍実朝が暗殺された事件。
源頼家の子・公暁は頼家の死後、源実朝の猶子となり出家していました。その公暁が1217年、園城寺から鎌倉に帰り、鶴岡八幡宮の別当となります。
1218年、源実朝は武士として初めての右大臣に任ぜられます。そして翌年の1219年1月、雪の積もる中、鶴岡八幡宮で右大臣拝賀が執り行われます。夜になり参拝を終えた実朝に公暁が襲いかかり、その首を打ち落としました。
その後、公暁は三浦義村により首を斬られます。
第3代将軍実朝の死により源氏将軍は断絶し、将軍の後継者問題で後鳥羽上皇と鎌倉幕府の対立は激化。北条義時と北条政子は皇族将軍の下向を求めるも、調整は難航。そこで、二人は皇族将軍をあきらめ、より鎌倉に近い血縁の将軍として、藤原頼経(幼名・三寅)を第4代将軍として迎えることに。藤原頼経は摂関家九条道家の息子で、前3代の源氏将軍とは血縁関係がありました。この時頼経は2歳。北条政子が後見し、尼将軍として将軍を代行することになります。
第4代将軍となった藤原頼経の関東下向により、京と鎌倉の対立は落ち着いたかのように見えましたが、後鳥羽上皇は水面下で反幕の計画を進めていました。
そして、1221年、後鳥羽上皇はついに義時追討の宣旨を発します。後鳥羽上皇挙兵の知らせに鎌倉の武士は動揺するも、北条政子の大演説によって一致団結、戦いに臨むことになったとされています。
戦いは当初、敵を箱根・足柄で迎え撃つ作戦でしたが、大江広元、北条政子が京への積極的な攻撃を主張。武蔵国軍勢の合流を待たずして北条泰時が鎌倉を出発。その後続々と軍勢は膨れ上がり、京へと向かいます。結果は幕府軍の圧勝でした。
この戦いのあと、後鳥羽上皇は隠岐の島に流され、朝廷は幕府に従う形となり、幕府が朝廷を監視、皇位継承をも管理する体制へと変わっていきます。
1224年、北条義時【小栗旬】の急死を契機として起こった政変。
北条義時の妻・伊賀の方(のえ【菊地凛子】)が、自身の息子である北条政村を次期執権にしよう画策した事件です。
伊賀の方は三浦義村【山本耕史】の協力を取り付けようとしますが、これに気づいた北条政子【小池栄子】が三浦義村を説得。
大江広元【栗原英雄】の協力もあり、第3代執権を北条泰時【坂口健太郎】とすることで事件は収束したとされています。
和田義盛【横田栄司】は三浦氏の支族「和田氏」の出身。ドラマ内では源頼朝【大泉洋】の伊豆での流人時代、北条宗時【片岡愛之助】に頼朝の保護を依頼されるなど、序盤から登場。愛嬌あるキャラクターとして描かれてきました。伊豆から逃れた頼朝が安房国で坂東武士たちを引き連れ鎌倉入りした後は、初代侍所別当に任命されます。頼朝の死後は、源頼家を支える13人の一人に。源実朝【柿澤勇人】の代になり徐々に北条が権力を握っていくなか、和田義盛は上総国司(上総介)への推挙を実朝に願い出ます。実朝はなんとかしてやりたいと考えますが、和田義盛が国司となる身分ではなかったことや、頼朝以来のルールを変えることに北条政子【小池栄子】、北条義時【小栗旬】、大江広元【栗原英雄】らの反対もあったとされ、結局その願いが叶うことはありませんでした。その後、いわゆる和田合戦が起こることに。和田一族は北条により滅ぼされました(第41回:義盛、お前に罪はない』)。
のえ(伊賀の方)【菊地凛子】は北条義時【小栗旬】の3人目の妻。北条義時が2人目の妻・比奈【堀田真由】と比企能員の変の後に離縁したあと、継室となったとされています。伊賀朝光の娘、二階堂行政【野仲イサオ】の孫。北条義時との間に政村、実泰を産みます。のえが執権・北条義時の妻となったことで、兄の伊賀光季は京都守護となります。
1224年に義時が急死すると、兄・伊賀光宗とのえ(伊賀の方)は、のえの息子である北条政村を次期執権にしようと画策。いわゆる伊賀氏の変が起こります。のえ(伊賀の方)は三浦義村【山本耕史】の協力を取り付けようとするも、これに気づいた北条政子【小池栄子】が義村を説得。大江広元【栗原英雄】の協力もあり、第3代執権を北条泰時【坂口健太郎】とすることで事件は収束したとされています。のえ(伊賀の方)は伊豆に配流とされるも、息子の北条政村はこの事件での連座を免れて、後に鎌倉幕府の第7代執権を務めることになります。
第3代鎌倉殿になる源実朝【柿澤勇人】。ドラマ内では、鎌倉殿としての務めを果たそうと学ぶ姿や、母である北条政子【小池栄子】が書き写した和歌に夢中になる場面も描かれています(第34回:理想の結婚)。実朝は朝廷文化、特に和歌にのめりこみ、歌人である藤原定家との交流もありました。自身の家集である金槐和歌集の編纂も行っています。後鳥羽上皇【尾上松也】のいとこである千世【加藤小夏】を妻とし、源頼家の息子である公暁【寛一郎】を猶子(実親子ではないが親子関係を結んだ)としています。
1213年、北条氏が実権を握る中、源頼家の遺児・千寿丸を担ぎ出し北条義時を討伐を企む泉親衡の乱を発端とした和田合戦により和田義盛は死去。同年、畠山重忠の末子・重慶が謀反を企てたとの報により実朝は長沼宗政【清水伸】に生け捕りを命じるも宗政は重慶の首を斬るなど、鎌倉幕府内部の不穏な空気はさらに増していきます。
1216年には東大寺大仏の再建を行った宋の僧・陳和卿と対面したことを機に、唐船の建造に力を注ぎます(完成した船は由比ヶ浜で曳かせるものの浮かばず)。この頃、実朝は次々に官職につき、その昇進の早さを憂慮した北条義時の使いとして御所を訪れた大江広元に「源氏の正統この時に縮まり、子孫はこれを継ぐべからず。しかればあくまで官職を帯し、家名を挙げんと欲す」と答えたとされています。
1219年雪の夜、鶴岡八幡宮での拝賀式の帰り、巫女の言葉「天命に逆らうな」と告げられます。そして、公暁【寛一郎】が襲いかかった時には持っていた小刀を捨て公暁に頷き、暗殺されました。
※源実朝について興味がある方には太宰治の作品『右大臣実朝』もおすすめです。
こちらから青空文庫で無料で読むことができます。
源実朝の妻である千世【加藤小夏】は、1216年、北条政子の命により源頼家の娘・竹御所を猶子としたとされています。1219年に実朝が暗殺されると、翌日には出家し、京へ帰りました。実朝の菩提を弔うために遍照心院(現在の大通寺)を建てています。
公暁【寛一郎】は源頼家【金子大地】の息子。父の死後、源実朝【柿澤勇人】の猶子(実親子ではないが親子関係を結んだ)となり出家しました。1217年に園城寺から鎌倉に帰り、鶴岡八幡宮の別当となります。1218年、源実朝は武士として初めての右大臣に任ぜられ、翌年の1219年1月、雪の積もる中、鶴岡八幡宮で右大臣拝賀が執り行われます。第32回『災いの種』では、比企尼が幼い公暁に告げた「北条を許してはならぬ」の言葉。そのことを忘れていた公暁に三浦義村が思い出させる場面が(第43回:資格と死角)。第44回『審判の日』では、息子を案ずる母・つつじ【北香那】が訪れます。さらに、頼家の死の真相を知った実朝が訪れ、詫びながら「ともに鎌倉を源氏の手に取り戻そう」と告げられるものの、信じることができない場面が描かれていました。
参賀の夜、参拝を終えた実朝に公暁が襲いかかり、その首を打ち落とします。実朝暗殺後は、源頼朝の父・義朝のものとされてきた髑髏を持って北条政子を訪れます。その後、義時への裏切りを悟られまいとする三浦義村【山本耕史】より首を斬られました(第45回:八幡宮の階段)。
源仲章【生田斗真】は公暁により、第3代鎌倉殿である源実朝【柿澤勇人】とともに殺された人物。演じる生田斗真さんは『軍師官兵衛』『いだてん』に続き3作目の大河ドラマ出演です。源仲章は後白河法皇【西田敏行】の近臣の子に生まれ、後鳥羽上皇【尾上松也】の近習となった人物。京にありながら鎌倉幕府の御家人ともなり、阿野全成【新納慎也】の三男の処刑も行っています。そして源実朝が第3代将軍になると、関東に下り実朝の教育係(侍読)となります。第44回『審判の日』では義時の前で権力欲をむき出しにした源仲章。源仲章に義時が送り込んだ刺客・トウを捉えます。その後、実朝の拝賀式の夜、義時の太刀持ちを外し自らがその役に代わることに。太刀持ちは義時だと思っていた公暁に斬られました(第45回:八幡宮の暗殺)。
藤原兼子【シルビア・グラブ】は後鳥羽天皇【尾上松也】の乳母として院政に介入、朝廷の政治に強い影響力を持ち幕府対策にも手腕を発揮した女官。
第3代将軍源実朝【柿澤勇人】の御台所に自分の養女である坊門信清の娘を斡旋。1218年には源実朝の後継者問題について北条政子【小池栄子】と対面。実朝の後継として、自らが養育していた実朝の妻の甥である頼仁親王を推薦するなど(結局は実現せず)、鎌倉幕府に対しても関与を深めています。
なお、藤原兼子の姉・範子も後鳥羽天皇の乳母であり、範子は後に土御門通親【関智一】と結婚をすることになります。
藤原兼子を演じるシルビア・グラブさんは、三谷幸喜さん脚本の『真田丸』にもご出演されていました。同じく女性政治家とも言える小池栄子さん演じる北条政子との対面がどのようなものになるのか、力強さを感じさせるシルビア・グラブさんがどのような藤原兼子を演じるのか、注目です。
承久の乱で幕府軍と戦い破れ、隠岐の島に流される後鳥羽上皇【尾上松也】は終盤のキーパーソン。承久の乱に至るまでの、執権である北条氏との関係、深い繋がりがあったされる源実朝【柿澤勇人】との関係など、後鳥羽上皇を取り巻く状況と心情の描写なども見逃せないポイントになりそうです。文武両道の人として知られ、新古今和歌集の編纂を命じるなど和歌の分野でも大きな功績を残した後鳥羽上皇。第48回『報いの時』では、泰時らに攻め込まれ劣勢の中、自ら戦の先頭に立とうとするも、後白河法皇の遺言「守り抜かれよ」を思い出し、とどまりました。そして隠岐へ流罪となり、再び京に戻ることはありませんでした。
慈円【山寺宏一】は天台宗の名僧で、歴史書『愚管抄』を記したとされる人物です。父は藤原忠通、兄に九条兼実【田中直樹】がいます。兄の九条兼実が娘の任子を後鳥羽天皇【尾上凛・尾上松也】の女御として入内させたことにより、慈円も後鳥羽天皇との関係を深めます。また、天台座主(天台宗の総本山である比叡山延暦寺の住職で天台宗の寺を総監する役職)をつとめます。しかし九条兼実の失脚後は慈円も天台座主を追われます(その後、慈円は3度天台座主をつとめる)。第三代鎌倉殿・源実朝が暗殺されると、京と鎌倉との関係は悪化。皇族将軍の下向を願う北条政子【小池栄子】と北条義時【小栗旬】の申し出に後鳥羽上皇【尾上松也】はなかなか応じず調整は難航します。慈円は、兄・九条兼実の孫である九条道家の後見人であり、その道家の子・藤原頼経(後の第4代鎌倉殿)が将軍として鎌倉に下向することを望んでいたとも言われています。また、公武の協調を望む慈円は、後鳥羽上皇の挙兵の動きにも反対したとされています。
仏師・運慶【相島一之】の初登場は第21回『仏の眼差し』。伊豆で北条時政らと顔を合わせます。そして第33回『修善寺』では頼家を討つことを決断した義時が和田義盛の館を訪れた際に、登場しています。15年ぶりの再開に「お前、悪い顔になったな」と言った運慶。「いつかお前のために仏を彫ってやりたい」とも。第44回『審判の日』では義時が運慶に作らせた戌神将の前で再会。第45回『八幡宮の階段』では、義時が運慶に、自らに似せた仏像を作るように約束をさせます。出来上がった仏像を見て怒る義時に「今のお前の顔よ、斬るか?」と問いながら去りました(第48回:報いの時)。
承久の乱で、大江広元【栗原英雄】は、は朝廷に仕える下級貴族から源頼朝【大泉洋】の側近となり、鎌倉幕府の公文所(後の政所)初代別当になった人物。京都との交渉を含めた政務を取り仕切る有能な官僚としての姿はすでに序盤から描かれてきました。頼朝の死後は源頼家、続く源実朝の代においても鎌倉殿を補佐しています。『尊卑分脉』では「関東執権」と称されており、官位も正四位を得るなど(北条義時よりも上の官位)、その存在は名実ともに鎌倉幕府の重鎮であった人物。承久の乱では、息子の親広が朝廷側につき、親子で相対することとなります。
三浦義村【山本耕史】は京にいる弟の胤義から倒幕決起の書状を受け取るも、弟の反逆には与せず、義時のもとに駆けつけます。こちらも、朝廷側についた弟と兄弟間で相克することに。
なんといっても承久の乱で指揮を執る北条義時【小栗旬】、大演説で鎌倉の武士の心をまとめた北条政子【小池栄子】が終盤のキーパーソン。かつて伊豆の弱小豪族の次男坊にすぎなかった義時が、武家政権の命運を賭けた戦いを指揮する、まさに終盤の見せ場。そして、多くを滅ぼし苦しみ続けた義時の最期を決め、見守ったのは姉・政子。息を引き取る義時に寄り添った政子のすすり泣く声で、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は幕を閉じました。
父・北条義時【小栗旬】が理解できずに苦しんだ中盤から、終盤に向けて徐々にその苦悩を知るようになってきたように見える北条泰時【坂口健太郎】。第2代鎌倉殿の源頼家【金子大地】、第3代鎌倉殿・源実朝【柿澤勇人】に仕える中で、悩みながらも成長を遂げてきました。和田合戦では柔軟な作戦により貢献し、いよいよ父を支える確固とした存在になりつつあります。承久の乱でも活躍する北条泰時。八重【新垣結衣】の子であるということが最終回に何か意味を持ってくるのか。妻である初【福地桃子】が三浦義村の娘であることも、今後どういった意味をもってくるのか、気になるところです。
ドラマ序盤で亡くなった北条宗時【片岡愛之助】が残した言葉『坂東武者の世を作りたい』
その志を引き継いだとも言える北条義時【小栗旬】。そしてその息子である北条泰時もまたその思いを引き継いでいくと思われます。父・北条義時の死後は武家政権の確立と安定に向け尽力する北条泰時。叔父である北条時房【瀬戸康史】を補佐役とし(連著)、泰時と時房に11人の評定衆を加えた合議体による政治体制を確立。立法、司法、政策・人事決定などを行いました。これは祖父である北条時政、父である義時がかつて行った13人の評議制を思わせます。また、武家政権・武家社会の基本法とも言うべき御成敗式目を制定します。
トキューサこと北条時房【瀬戸康史】は、北条義時【小栗旬】の弟であり、北条泰時【坂口健太郎】の叔父にあたる人物。時に家族を和ませ、時に真っ直ぐな言葉を投げかける時房は、後に鎌倉幕府の初代連著(執権の補佐役)となる人物で、北条泰時を支え、共に武家政権の安定のために政治改革を行っていきます。
実衣(阿波局)【宮澤エマ】は北条時政【坂東彌十郎】の娘。姉は北条政子【小池栄子】、兄は北条義時【小栗旬】。乳母として千幡(源実朝)を養育しました。夫は阿野全成【新納慎也】。阿野全成は源頼家の跡継ぎの座をめぐる権力争いに巻き込まれる形で、謀反人として殺されました。その阿野全成との間の息子が阿野時元【森優作】。阿野全成の死後、それまではあまり見せなかった権力欲を見せ始めた実衣。姉・北条政子を慕う心と反発する心が共存しているようにも見えます。京から実朝の次の鎌倉殿を迎える話が出ると、「鎌倉殿に子がいなくとも公暁殿もいればうちの息子(阿野時元)だっている」と憤慨する場面も(第43回:資格と死角)。第45回『将軍になった女』では、亡くなった実朝と公卿の後の鎌倉殿に息子の時元を据えようと企むも、結局時元は自害。自らも処罰されそうになるも、政子に命を救われることに。
阿野時元【森優作】は実衣【宮澤エマ】と阿野全成【新納慎也】の息子。第37回『オンベレブンビンバ』から登場し、北条時政【坂東彌十郎】とりく【宮沢りえ】が源実朝に代わり平賀朝雅を将軍にしようと画策した際(牧氏事件)の際には、実朝に仕える身でありながら時政に加担しています。阿野時元の父である阿野全成は源頼朝の弟であり、時元は源氏の血をひいていることになります。同じ源氏の血を引きながら違う扱いをされていることに不満を募らせる場面も(第43回:資格と死角)。実朝が暗殺され、公暁も殺されると、母である実衣の企みもあり、将軍の座を狙い挙兵しようとした時元。しかし、義時の差し向けた兵に囲まれ、自害しました(第45回:将軍になった女)。
北条朝時【西本たける】は北条義時【小栗旬】の次男。母は北条に滅ぼされた比企一族の比奈【堀田真由】。比企能員の変の後、義時とは離婚しています。北条朝時は女性問題を起こし、義時に駿河国への蟄居を命じられ、「父を超えようという気概はないのか」と叱責されています。父・義時に期待をかけられる泰時を羨む場面も。和田合戦では逃げ腰な戦いぶりながらも、泰時が手柄を譲ることによりフォローされ「役に立つ男になってくれ」と告げられます(第41回:義盛、お前に罪はない)。承久の乱では北陸道の大将軍として活躍したとされています。
平盛綱【きづき】は、泰時【坂口健太郎】の母・八重【新垣結衣】に命を救われ、義時に名付けられ、成長した人物として描かれています。『吾妻鏡』では承久の乱の場面で名前が登場する人物。北条泰時に従った18騎の一人とされています。北条義時が亡くなった後に起こった伊賀氏の変では、泰時を助け警護や事務処理を行ったとされています。
三浦胤義【岸田タツヤ】は、三浦義村【山本耕史】の弟。
三浦胤義の妻は第2代鎌倉殿・源頼家の側室だった女性(一品房昌寛の娘)であり、頼家が暗殺された後に胤義が妻にしたと言われています。頼家の四男・禅暁は胤義の妻が産んだ子であり、頼家の死後は仁和寺に預けられます。第3代鎌倉殿・実朝が暗殺され、公暁が殺されると、胤義は頼家の四男・禅暁を後継者に考えるものの叶わず、禅暁は誅殺されます。承久の乱で胤義は朝廷軍につきます。これは、後鳥羽上皇【尾上松也】の側近である藤原秀康【星智也】が説得し引き入れたとされています。この時、胤義は兄・三浦義村も朝廷側につくと考えていたようです。しかし三浦義村は胤義からの使者を追い返し、兄弟は対立することに。
駒若丸【込江大牙】は三浦義村の息子。後の三浦光村。幼少時代に鶴岡八幡宮に預けられ、公暁【寛一郎】の門弟となります。第43回『資格と死角』で、公暁の千日参籠の場面で稚児として登場しました。後に、第4代鎌倉殿となる藤原頼経の近習となり、側近として長く仕えることになります。
様々な人物が登場する鎌倉殿の13人。鎌倉時代を知り、登場人物の関係や背景を知るとより楽しむことができそうです。
そこで、あらすじを予習、復習するのにぴったりなのが鎌倉幕府の公用記録書である『吾妻鏡』。脚本の三谷幸喜さんも原作のつもり、と話されたそうです。 すでに放送済みの回も、『吾妻鏡』を読んでからあらためて見直してみると、より深くドラマの世界に入り込めるかもしれません。
『吾妻鏡』は現代語訳もありますが、まずは漫画で読んでみてはいかがでしょうか。
おすすめは『マンガ日本の古典 吾妻鏡』。著者は『風と木の詩』『地球へ…』などの作品で知られる竹宮惠子さんです。 丁寧な注釈もあり、ドラマの登場人物の生きた時代がわかりやすく描かれています。
『マンガ日本の古典 吾妻鏡』は、マンガ日本の古典シリーズの14〜16にあたり、上中下巻の合計3冊です。
上巻:以仁王、源頼政の挙兵から源頼朝の挙兵、源頼朝の鎌倉入り、義仲の上洛、木曽義高の死の頃まで
中巻:源義経上洛から、壇ノ浦の戦い、奥州征伐、源頼朝上洛の頃まで
下巻:源頼朝の死から承久の乱の頃まで
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『鎌倉殿の13人』の時代とキャスティングされている登場人物について、大まかにではありますがご紹介しました。いかがでしたか?
北条義時の生きた時代は、平氏、源氏、朝廷の対立と陰謀、それぞれの内部での権力闘争、親子兄弟姉妹夫婦の愛憎と企み、かなりドロドロとした世界。でも、そこは三谷幸喜さんの脚本。きっと笑いあり涙ありのストーリーをみせてくれるはず。
序盤、中盤、終盤と分けてはみたものの、あれ、ここを深く掘り下げるの?あれ、ここは取り上げないの?など、全く新しい切り口で私たちの知らなかった鎌倉時代をみせてくれるのではないかと、ワクワクしています。
まだキャスティングされていない人物も気になるところですね。記事内のキーパーソンやその人物像は、放送に合わせて随時更新しています。
※2022年12月18日、ついに最終回が放送されました。